Top ||  Index

異常形成

 ドスン、と重たいコンクリートが落ちる音が響いた。埃を巻き上げて地面と接したそれは、同時にひび割れて砕けて、一つの塊ではなくなった。
 冷たい空気が流れる。何か、ものが動くたびに感じる微風は、傷ついた身体に痛くすら感じられる。悟飯は、ざらざらとした壁に紅い血の跡を残しながら伝い歩き、奥まで進んでいく。
 足に何かが触れると、それだけでバランスを崩して倒れ込んだ。
 荒い息を落ち着かせようと、何度か深呼吸をするが全く改善されない。
 こつ、と今までとは異質な、高い音が聞こえた。一定のリズムを刻んで響いてくるその音は、人の足音だと容易に想像が出来た。そして、その人物の特定には、確信にも似た予感があった。…あまり当たって欲しくない予感だったけれど。

「………へぇ、良くここまで逃げて来れたもんだな」

 涼しい声音が、耳から背筋に寒気を走らせる。反射的に起きあがって振り向くと、眩暈のするぼやけた視界の向こうに、17号が立っていた。
 ギリ、と歯が擦れる音がした。悟飯は力の限り気を集中させ、輝きを取り戻す。その碧色の眼で、威嚇するように睨みつけた。

「まだそんな力が残ってたのか」

 喉の奥で笑いながら、17号は悟飯にゆっくりと近づく。その分だけ、悟飯は後退った。だが、二人の距離は段々と縮まっていく。

「…恐い?」
「っ誰が……」

 その返答に17号は口元に笑みを浮かべながら、悟飯の視界から消えた。
 悟飯がその動きを目で追うが、次の瞬間には、彼は目の前に現れた。肩を掴まれて、後ろにあった壁に押しつけられた。鈍い痛みに目を閉じて、呻き声を上げた。

「俺に刃向かわなければ、もっと楽に死ねたのにな」

 目を開けて、無言で相手を睨みつける。その瞳に映し出された17号は、心底楽しそうな顔をしていた。悟飯にはそれが酷く不快だった。
 人の厭うことを全てインプットしているのではないかとも思えてくる殺人人形の行動。
 例えば、不意に優しく微笑んで、唇を押し当てる所、とか。
 気持ち悪い、嫌だ、と思っても、押し返すには力が足りない。唇は塞がれて文句の一つも言えず、眼で訴えてみても哂うアイスブルーの瞳にさらりと無視されるだけだった。どこもかしこも拘束されているような、息苦しい状態。
 自由なのは、思考だけか。
 誰か助けてと泣き叫ぶ心と、誰もいないだろうと冷静に嘲笑う頭。自由なはずの思考でさえも、感情が混乱して、思うように働かなかった。
 そんな頭の中に思い浮かべるのは、いつも小さな少年で、助けを求めるには酷く不釣合いな存在だった。けれどいつも、今も、彼を待っていた。いつか、彼がこの地獄から救ってくれるのではないかと、期待していた。
 そんな馬鹿みたいなことを考えるのは、やはり目の前のこの男のせいだと、責任転嫁して。

「お前が死んだらつまらないから、生かしておいてやるよ」

 と耳元で睦言にも似た声で囁く17号は、そうと決めるとさっさと消えてしまった。
 17号が去った後、悟飯は体の緊張が解けるのを感じ、安堵の溜め息をついた。しかし、しばらくは動けない状態だった。唇を乱暴に拭いながら、悟飯は自分の体力が回復するのを待った。


 日常の崩壊、異常の形成。
 それは偶然か、必然か。どちらにしても、為ってしまったからには変わりのないこと。
 救い上げてくれる日常という小さな手を待ち望みながら。
 後は終焉へ堕ちるのみ。

back