君は、誰かに許されたいの?
それとも、許して欲しくないの?
……自分が、許せないの?
俺は、二十三歳になっていた。人造人間を倒して、この世界は平和で、俺は、もう大人になっていた。
大人というものは大変なものなんだと分かった。いつまでも子供じみた事を言っては居られない。いつまでも子供じみた事を考えては居られない。
それでも、やりたい事があった。それはとても子供じみた事で、してはいけない事。
今自分がやろうとしている事に、社会的意義は存在しなかった。これは使命ではない。誰にやれと言われたわけではなく、自分で決めた事。いやむしろ、誰にも言わずに、自分で勝手に決めてしまった事。それが正しいか正しくないかの判断は、自分が受け持つ事。そして、これは正しくない事。
悪い事と分かっていて悪戯をするような、言うなればそう、自己満足のためだけに。
そこに罪悪感がないのかと言われれば、無いとは言えない。悪戯なんて、小さい頃からやった事がないといえるくらいだったから。心臓が煩いくらい鳴って、口から吐き出してしまいそうだった。それくらい、緊張している。
でも、後悔はしない。
例え、それがどんなに自己中心的で、他者を省みない行為だったとしても。今から自分が行う事で、誰かが傷つこうとも。
それでも、その乗り物の前に立ち、“そこ”へ行く歩みを止める事はなかった。後ろを振り返り、誰もいない事を確認する。そして、意を決して、タイムマシンに乗り込んだ。
本来ならば、使ってはならないもの。次元を歪め、時間を歪め、世界を破壊する危険すらも孕んだもの。…もう二度と使ってはならないもの。
それでも、スイッチを押す。目の前が、一瞬揺らいだ。
後悔はしない。
エイジ七八〇年、西の都。
ほとんど破壊し尽くされた都に、一つの大きな気が闘っていた。厳しく強く、それでいてとても懐かしい、優しい気に感じられた。闘っている相手の気は感じられなかった。それから、自分の気も感じられない。
正しい時間帯に来たのだと、そう思うと少しだけ不安が和らいだ。
タイムマシンから下り、その地点に向かって飛び出していった。幸い、すぐにたどり着く距離で闘っている彼らの元には、ほんの数分で到着する。
彼を助けられるのなら、何だって良かった。
誰かがどれほど傷つこうとも。
……自分がどんなに咎められようとも。
闘っていても、悟飯はその気配にすぐに気が付いた。いつも傍にいる存在で、一番親しい人間の気で、この星でこれほどの力を持った人間は他にいなかったから。
だがそれは、いつも感じているものとは少し違っていた。いつもより強くて、安定した落ち着いた気だった。それが、元々彼がいた場所とは反対の方向からやって来る。その存在に、引っかかりを覚えた。
「誰……」
「何よそ見してるんだ?」
「!」
人造人間がすぐ目の前まで迫っていて、怯んでまともに攻撃を喰らってしまった。拳が深く胸の辺りに入り、一瞬息が詰まって咳き込んだ。だがすぐに構え直し、次の攻撃に備える。
ポタポタと体を伝い落ちる血が、鮮やかに世界を染めていく。その感覚を、悟飯はもう何年も前から知っていた。
「殺すと言ったよな、最初に」
「さっさとやっちゃいなよ」
感情の篭らない声が耳に鳴り響く。小さく息を吐いて、神経を集中させる。どうしようもない恐怖は心に閉じ込めて、震えてくる体を力を込めて止め。
もう駄目かもしれないという、心の中に生まれた微かな絶望を排除して。
そうまでしてここにいる自分に、悟飯は苦笑した。
その瞬間。閃光が走り、体が熱に覆われるような痛みが走った。自分の力ではない浮遊感がそれと共に起こり、後方に吹き飛ばされた。壊れかけたコンクリートに体が打ち付けられる。
地面に横たわった体から、力が抜けていくのが分かった。痛みという次元を通り越して、神経が麻痺して何も感じない。
薄れる視界の中に、さらなる光が映される。その視力を低下させようという瞳に、それは痛いほど毒々しく映った。
人造人間の気配はないのに、放たれた気だけは、こちらに近づいてくるのが手に取るように分かった。それと自分との距離がゼロになるとき、死も同じようにやって来るのかと頭の片隅で冷静に考えていた。
だが、次に訪れたのは、先程のような吹き飛ばされるものではない、緩やかな浮遊感。
「………え?」
気が付けば、光はどこかに消えてしまっていた。ふわりと風を切る音が耳元で鳴り、人の温かさを感じた。
悟飯は、抱えられている感覚に驚いて目を開け、彼を見上げた。青系色の髪の青年が、こちらを見て微笑んでいる。いや、どちらかというとほっとした表情だった。
見た事のある顔。でも、これほど大人びた彼は、悟飯の記憶の中にはない。確信を得ないまま、悟飯は過去何度も呼んだ名前を口に乗せる。
「…トランクス」
彼は、自分の名前を聞いて一瞬だけ驚いた顔をして、また笑って言った。
「よかった、間に合って」
その言葉の真意を、悟飯は理解できなかった。言うと、トランクスは悟飯から手を離し、振り返って人造人間を見た。人造人間達は、不思議そうに彼の事を見ていた。だが、どうやら彼が自分達に立ち向かってこようとしている事に気づくと、明らかな侮蔑の笑みを漏らした。
「何、アンタ」
「邪魔するなよ、俺達はそいつと遊んでるんだから」
くすくすと笑いながら、人造人間達はトランクスの事など目に映さずに言った。
そんな彼らに、トランクスは瞳に怒りの感情を宿し、正面から二人を静かに見据えると、口を開いた。
「…これ以上この人を傷つけるのは許さない。お前達は俺が倒す」
ボッと火の付くような音がして、トランクスの髪が金色に変わった。
それは、一瞬の出来事。その場にいた誰もが想像も付かないような出来事だった。
人造人間達は、今目の前から跡形もなく消え去った。それは文字通り、消えたのである。いや、この青年によって消されたと行った方が正しいか。
ふわり、と荒れたコンクリートに着地し、金の髪を元の青系色に戻す。彼は座り込んで呆然としている悟飯に近づいて手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「あ…あぁ」
出された手を取り、引っ張られるままに悟飯は立ち上がった。あまり身長の変わらない青年は、何も言ってこない悟飯を心配そうに見つめた。
「……手当て、しないと駄目ですね」
血で汚れた服や身体を見て、トランクスは呟く。心なしか顔色も悪かったので、なお一層心配になった。
「…トランクス?」
「はい…?」
「……本当に、トランクスなのか?」
疑っているわけではないことは、瞳を見れば分かった。ただ、疑問に思っているということは確かだった。己の目の前の存在について。それは仕方のないことだろう。その存在は認めていても、それがその人であると分かってはいても、頭が理解できていないのだ。
数々の不思議な出来事を見てきた彼が自分の存在を不思議に思うというのは、少しだけ優越感が感じられた。トランクスは、また微笑んで言った。
「はい。俺は、貴方を助けるために、ここに来たんです」
「………?」
さらに不思議そうな顔をする悟飯が、こちらにやって来る気に敏感に反応し、少しだけほっとした表情になった。トランクスも遅れて、彼に気が付いた。そして、悟飯にも見せないように一瞬顔を曇らせた。
「ああ、俺が来たんですね。…じゃあ、俺はちょっと隠れています」
「え……」
「人造人間は倒したって、言っておいて下さい」
そう言うとトランクスは、気を消して建物の陰に隠れた。一人残された悟飯は、飛んできた小さな少年を迎える。
少年は悟飯の無事を知るとそれだけで喜んでいるようだった。ただ、傷だらけの身体では無事とは言い切れないが。
二言三言会話してそこから去っていくのを見送ってから、トランクスは彼らとは反対方向に向かって飛んでいった。彼が向かった先は、パオズ山。まだやらなければならないことはあったが、それは少し時間を置いてでもいいだろうと判断した。
まだ、この世界に居たかった。
彼を助けることが一番の目的だった。それが『自分の』彼でなくても。そう、割り切っていたのに。
一瞬だけ、うらやましく思ってしまった。…妬ましく思ってしまった。
この時代の、自分が。
夜、パオズ山の家に帰ってきた悟飯を、トランクスはお帰りなさいと言って迎えた。悟飯は複雑な顔をして、それでも外で待っていたトランクスを家に入れた。リビングを越えて自室に入る悟飯の後を、トランクスはついて行く。
「てっきり今日は向こうに止まるのかと思ったんですが」
「そうしたら君はどうするつもりだったんだ?」
「野宿でも何でもしますよ」
そうかと反応を返して、座りなよ、と言ってトランクスに椅子をすすめた。トランクスが座るのを見届けてから、悟飯は自分のベッドに腰掛けた。
二人はしばらく無言のまま、隣り合って座っていた。それはどこか心地悪い沈黙で、しかし会話の糸口が探し出せないで、どうしようもなく黙っていた。
トランクスは間を持たせるように室内をきょろきょろと眺めだした。相変わらず殺風景にも近いすっきりした部屋に、必要最低限の荷物。細かいところは暗くてよく見えなかった。にもかかわらず、家主は電気をつける気はないらしい。今夜は月明かりで一応見えるが。
ふと、正面に座る彼の姿が目に入った。その後ろには窓から月が顔をのぞかせていたので、逆光で表情までは読み取れなかったが、体のあちこちに巻かれている包帯や絆創膏が痛々しく感じられた。
疲れても、いるんだろうか。そう思うと、今時分の相手をしてくれているのが申し訳なく思えてきて、大丈夫ですかと声をかけようとした。
しかしそれは、悟飯の言葉によって遮られてしまった。
「……タイムマシン」
突然その単語を出されて、トランクスは一瞬固まった。悟飯は言葉を続ける。
「君がここに来るために使ったものだね。ブルマさんが作った」
「…はい」
「もともと、過去に飛んで俺のお父さんの心臓病を治し、歴史を変えるために作ったものだったはずだな」
「…それは、もう済ませました。俺の未来や、貴方の未来でない世界は、歴史を変えて人造人間の恐怖から解放されました。もちろん、俺の未来も俺が人造人間を倒して今はもう平和になっています」
「……なら何で、ここに来たんだ?君のやるべきことは終わっているはずだ」
「それは…」
トランクスは言葉に詰まった。責め立てられているような感覚に、言葉がうまく口から出てこない。喉に詰まっているようで、逆に息苦しかった。
「…あの言葉の意味を考えていた」
”俺は、貴方を助けるために、ここに来たんです”
「本来なら、俺はあの時死んでいたんだな」
臆することなく言った悟飯の言葉にトランクスのほうが面食らった。なるべくなら知られたくはなかったその事実を、本人から突きつけられて、言葉もなくただ頷くしかできなかった。それを見て、悟飯が小さく溜息を付いたのが分かった。
叱られることを知って怯えるように、トランクスは悟飯の言葉に身構えた。
「それがどういうことだか、分かっているのか?」
「そ…れは……」
分かっているつもりです、と言いかけて、それがやけに子供じみた言い訳に聞こえて、口を閉じてしまった。俯いてしまったトランクスに、悟飯はまた溜息を吐いた。
「……分かっていないんだな」
「いいえ!分かっています!」
悟飯の呆れたような声に焦って、トランクスは顔を上げて即座に否定した。
「俺は、貴方を助けるためにここに来たんです!それが時空を歪めることだということも分かっています。きっと誰かが傷つく、他の人にとって酷いことや悪いことになるとも。でもっ……」
トランクスは、どうにか自分の思っていることを伝えようと、今まで考えていたことを話し出した。
「でも、俺はどうしても諦められなくて、ここに来ました。例え貴方が俺の世界の貴方でなくても、自分がどんなに咎められても、何があっても、…そう、思っていました」
だが、その考えに迷いが生じているのは明白で、段々と、本当は何も分かっていなかったことが分かってきてしまった。
悔しさで、息が詰まった。それが嗚咽だとは気づく余裕さえもなかった。
「俺は、ただ貴方に……」
その後には、何も続かなかった。
声を発することが出来なくなって、初めて自分が泣いているのだということに気が付いた。袖で拭っても、それは止まらずにぼろぼろと零れてきた。
今までトランクスの話をじっと聞いていた悟飯は、彼の言葉が途切れると立ち上がった。部屋に一つだけあるタンスからハンカチを取り出し、彼に近寄ってその頬を拭ってやる。トランクスは俯いたまま、されるがままになっていた。
悟飯はその手をふと止めると、穏やかな声音で言った。
「トランクス、よく考えて答えを出してくれ。君は、許されたいのか、許されたくないのか」
何のことを言っているのか分からなくて、トランクスは自分の目の前に立っている悟飯を見上げた。すると、答えではなく優しい手が下りてきて頭を撫でた。
「君が本当にやりたかったことの意味を、考えてごらん?」
そう言うと悟飯はトランクスから離れ、出口の方に向かった。トランクスが呼び止めると、一度だけ振り向いて後ろ手でドアを開けながら言った。
「ゆっくり考えるといいよ。その間はここにいてもいいから」
今日はそのベッドで寝なさいと言って、扉は閉められた。トランクスは項垂れて一人、少しだけ熱くなっている目を閉じた。
本当にやりたかったことの意味。それは、自分ではよく分かっていると思っていた。自分で勝手に決めてしまった事だから、それが正しいか正しくないかの判断は自分が持つべきだと言うことも。そして、これは正しくない事だということも。
でも、後悔はしない。
その罪は自分で被るつもりでいた。自分はどんなに咎められようとも良かった。
”君は、許されたいのか、許されたくないのか“
やりたい事ではあったけど、そんな事をする自分が許せなかった。
むしろ、許して欲しくなかったのかも知れない。こんな風に、自分の中の罪悪感と戦い続けるくらいなら、罰を与えられた方がどんなにか楽だと、考えていたのかも知れない。逃げとも言えるけれど。
でも、と。彼を助けられるのなら、何だって良かった。
例え、それがどんなに自己中心的で、他者を省みない行為だったとしても。自己満足で他の誰かがどんなに傷つこうとも、きっと自分はその罪を負っていけると。
本当は、過信だったのかも知れない。
そんなことが出来るはずもないことは、今考えれば簡単に分かることだったというのに。
子供じみていた。本当に、自分はただの子供だったと。後悔なんて言葉では、到底償えない深い闇。
自分の犯した間違いを認めたくなくて、違う方向に間違いをねじ曲げてしまったのだ。
「俺は、ただ貴方に……」
その後には、何も続かなかった。
今は?
まだ、この世界に居たい。ただ、彼の傍にいたい。だから、この時代の自分が、一瞬だけうらやましく、妬ましく思ってしまった。
それが『自分の』彼でなくても、彼を助けることが一番の目的だと割り切っていたのに、その想いは脆くも崩れ去った。
本当にやりたかったことの意味は。
何の事はない。自分と彼が、一番傷つく事をやってしまったというだけなのだ。
「はは……馬鹿みたい……」
それに一番初めに気づくのが、よりにもよって彼だなんて。
後悔しないなんて、誰が傷ついてもいいなんて嘘だった。許されたくないのも、嘘だった。少なくとも。
彼には。
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