「何とか言ったらどうなんだよぉ」
その声に少しだけ足を止めた。明らかにタカリの類をするチンピラの声だった。割って入るのは面倒なことになりかねないが、これも警官の勤めと仕方なく歩みを続けた。人ごみに紛れて見えないが、声はこの先だった。
が、また聞こえてきた声に再度足が止まる。
「謝罪は先刻したこと。それ以上する理由はない」
凛と響く声、落ち着いた口調。口調以上に嫌味なほど落ち着いた姿が眼に浮かんだ。
ふいと顔を上げると、成程確かにその姿はあった。他より頭一つほど抜き出た長身の男、四乃森蒼紫。今日は見慣れた白コートでなく和装である。それが幾分か彼の雰囲気を柔らかくしていた。だが、それもこんな輩に絡まれる要因だとすれば、良いのか悪いのか分からない。
「そんなところで何をしている?」
気配を消し、一言声をかけると、奴も先程まで気づかなかったようで、こちらを見るとき一瞬だけ驚きをその瞳に宿した。その目を見ただけで、良い気分だった。チンピラはさっさと退散したらしい。
帽子を脱いで挨拶すると、奴はわざとらしく優雅に一礼してそのまま歩き出した。その態度に、少々苛立った。わざわざ小走りに奴の隣まで来て、送っていきましょうと言うと、結構と短い返事が返ってきた。その返事に溜め息を漏らし、奴にしか聞こえない声で悪態をついた。
「せっかく助けてやったのに礼もなしか」
「……あんな輩、助けたところで何になる」
奴もまた、こちらにしか聞こえない声で返事をした。この男にとって、先の自分の助け舟は奴らに対してということになっているらしい。それは半分は正解だった。しかし、もう半分は不正解である。
「『葵屋の若旦那』さんは面倒ごとになるのが嫌かと思ったのだが」
「それならばそれ、『葵屋』を敵に回したらどうなるか、知らしめる良い機会だ」
一介の料亭が、と苦笑する。確かに一介の料亭ではあるが、敵に回せばこの界隈では生きていけまい。それが今もこの京都に根付く御庭番衆の力だった。
やれやれと言って煙草をくわえ、火のついたマッチを近づけた。ジ、と焦げる音がして、苦い香りが口内を突く。それを見た男が仕事はどうしたと問うてくる。自主休憩だ、と笑うを盛大な溜め息をついた。この男の生真面目は変わらないらしいが、それをこちらにまで要求するつもりまではないらしい。溜め息以降特に何も言ってこなかった。
さっさと歩く男に合わせてさっさと歩くと、目的地に到着するのはすぐだった。そのまま離れていこうとする男の腕を掴み引き寄せると、例に漏れず嫌そうな顔をした。その顔を無視して今夜行くと言うと、眉間の皺がますます深く刻まれた。
また何か恨み言を言われる前に奴から離れ、にこり笑って小さく礼をし、そのまま歩き出した。だがそれは奴の呼びかけにより、ふいに立ち止まるどころか振り返りまでもしてしまった。
「『藤田さん』」
「!」
「先程はありがとうございました」
そう言って、奴は先と変わらぬ優雅な礼を見せ、店の中に入っていった。
まさかまだ「藤田」の名を覚えているとは思わず、一瞬怯んでしまった自分に舌打ちして、さっさとそこから引き上げた。
意趣返しの礼は、どちらにしろ今夜だ。
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