部屋へと繋がる障子を開けると、四乃森蒼紫はこちらに背を向けたまま一言。
「何の用だ」
開口一番、客に対して言う台詞じゃないだろう。言えば客? と呆れた声を上げるのは明白である。そうは思ったが、この男にとっての俺が表れた的確な言動だと思い出し、少し笑えた。笑うと、険を露わにした視線が飛んでくる。
「用というほどじゃないが、お前に会いにな」
「帰れ」
間髪入れずに言ってのけた男に、無理に介入の余地を空けようとするが、無言を返される。相変わらず、この男を落とすのには難儀する。だが、ここで引くわけにもいかない。
目の前の男は用がそれならさっさと帰れと言わんばかりの風体で店の帳簿らしきものを捲っている。表向き、奴も今は仕事中であるらしい。
仕方がないので気配を殺し、聞く耳持たずの男の背に縋りついてみた。両手を這わせて頬を摺り寄せると、すらりと伸びた背がびくりと震え、正座から一気に横に飛んで見せた。着地までは上手くいかなかったようで、少々よろめいて膝と手を付いているが。
悪寒を抑えるように掌で腕をさすり、先程まで背後に居た男を正面から見た奴は、驚きよりも怒りよりも何よりも、唖然といった表情だった。それに対し、こちらはわざとらしく溜め息をつく。
「反応は良いが……相変わらずつれないな」
「……ふざけるのも大概にしろ」
ようやく気を取り戻した男は低く呟くと、怒りの空気を纏い立ち上がった。こちらに対して何か行動があるのかと思いきや、飛び退く時に放ったらしい帳簿を拾い、そのまま俺が入ってきた障子を開けて出て行こうとする。まだ話は終わっていない、と慌ててそんな奴の腕を掴み、無理やり部屋の中に引きずり込もうと力を込めた。奴は奴で俺の中では終わっていると言ってそれに逆らい、足に力を入れている。拮抗状態。
ぎりぎりと音がしそうなほど掴んでいる奴の左腕はさぞ痛いことだろう。その表情に不快だけでなく痛みも含みだしたが、それでも音を上げない意地の張りっぷり。
空いている手で奴の頭を掴み、今度こそ引きずりこんだ。無意識に頭と首の衝撃を避けようとした男はそのまま体を傾け、俺の腕の中に入った。ようやく諦めが付いたらしく、大人しくなった。と、思ったら肩に近い腕を掴まれて腹部辺りを殴るように押され、外に向かって投げられた。体に当たった障子がばきんとすごい音を立てて、体と一緒に飛んでいく。受け身は取ったが痛いものは痛い。庭に落ちた右半身が土埃に汚れてしまった。
起き上がると、ぶつかった右肩より押された腹部の方が痛んだ。その原因たる縁側に仁王立ちした男を見上げると、向こうはきつい視線で見下ろしてくる。
「障子代はつけておいてやる」
「というかお前が壊したんだろ」
「やかましい、貴様が馬鹿な真似をするからだ」
先程の音を聞きつけてか、こちらに向かう足音が聞こえた。あの落ち着きのなさからして、イタチ娘だろう。曲がり角からぴょこりと顔を出すか出さないかのうちに、男を呼ぶ声が聞こえた。
「蒼紫様、どうかしたんですかっ? って、あ、不良警官!」
「丁度いい、操。新しい障子を用意したい。請求はあの男だ」
「勝手に決めるな」
「え? うわぁなにこれ!」
イタチ娘は現状に一通り感想を漏らした後、主の用件を素直に聞き入れた。こちらの言うことには聞く耳持たないあたり、この主従は嫌なところで似ている。
立ち上がって服に付いた埃を払うと、男はさっさと帰れ、と言ってイタチ娘を連れて去っていった。その、あまりのあの男らしさに、思わず笑いが漏れた。
「全く手間をかけさせてくれる」
どうにか見られるくらいに服の埃を払い終え、「会いに来た」という当初の目的は達成されたので、そのまま葵屋を後にした。
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